歌手の高橋真梨子さんが1月6日の金スマに出演し、体重が33kg以下の激痩せの状態であることを告白していました。
高橋真梨子さんが体調不良で激やせした理由が「トラウマ」が原因ということです。
一体そのトラウマとは何でしょうか?
高橋真梨子の激痩せ姿に驚愕!
高橋真梨子さんというと、歌唱力がすごくて高橋さんの年代の人たちだけでなく若い人たちもファンがたくさんいる世代を超えて人気のある歌手ですよね。「五番街のマリー」、「桃色吐息」、「for you」、「ごめんね」など数多くのヒット曲を出しています。
ごめんねは、2016年の紅白歌合戦のときにも歌われていましたね。ただ紅白歌合戦を見ていた視聴者から、高橋真梨子さんの姿を見て「痩せた?」「ガリガリ」と激やせした姿に心配の声があがっていました。
紅白歌合戦に出演した時の高橋真梨子さんがこちら。
確かに痩せてしまったことが見るからにわかりますよね。金スマ出演時に紅白歌合戦の様子が映っていましたが、このときの体調は「最悪」と言っていた高橋さん。
現在、体調のいいときは年に2度くらいしかないと告白していました。年に2度って・・・毎日体調が悪いって状況としてはかなり深刻ですよね。それでもあれだけの声量を紅白のときに出していたなんて驚きです。
激やせと言われている高橋真梨子さんですが、現在の体重はなんと33kg以下!!!!ベスト体重が41kgの高橋真梨子さんですが、それから約マイナス10kg近くまで落ちています。
ベストの体重もかなり痩せていると思いますが、33kgは命の危険性もあるのではないでしょうか。昔は結構ぽっちゃりした感じだったので、体重を聞いて余計心配になりますね。
痩せすぎで筋力も衰え、体力もない状態の高橋真梨子さん。いつも氷水の中に足を突っ込んでいる感じと本人がいうほど、常に体が冷えています。
ステージで力強い歌声を披露して舞台裏に戻ると、さきほどの力強い姿はなく、誰かに支えてもらわないと歩けない状態にまでなっていました。
3年前まではふくよかだった高橋真梨子さん、なぜここまで激やせしてしまったのでしょうか?
高橋真梨子の激やせの原因は母親!?
高橋真梨子さんが激やせするほど体調が悪くなったのは「トラウマ」が原因と本人が告白しました。
そのトラウマは、更年期障害を期に今まで心にしまっていた苦しみが体調に現れてしまったそうです。更年期障害は、女性ホルモンのバランスが崩れることによって起こり、一般的には閉経後10年ほど悩まされると言われています。
しかし、中には更年期障害を発生してからずっと治ることがない人もいるそうです。高橋真梨子さんは現在67歳なので、ずっと更年期障害に悩まされていると考えられます。
現在体調不良となっているトラウマは『母親との確執』が原因でした。49年にも渡る母親への憎しみは、高橋真梨子さんの壮絶な人生を物語っていました。
高橋真梨子さんの両親は広島出身で、ふたりとも広島原爆の被害に遭っていました。父親は、ジャズマンでサックス、フルートなどマルチに楽器を操る奏者で、母親はダンサーをしていました。高橋真梨子さんを出産後に一家は当時ジャズが盛んだった福岡に移り住み生活を送っていました。
一家で幸せに暮らしていましたが、ある時、父親が足の親指を出血する怪我を負ってしまいました。軽傷のため病院に行かず放置していたのですが、半年経っても傷が治らず、やっと病院に行って検査を受けると「脱疽」にかかっていることが判明。
脱疽とは、壊死した組織が感染を受けて腐敗した症状のことで、放置すると命に危険といわれる病気です。高橋真梨子さんの父親は、両足を切断することになりました。
父親が働くことができないので、母親がキャバレーでホステスとして治療費と生活費を稼ぐことになりました。昼夜働いている姿を見た高橋真梨子さんの父親は、負担をかけたくないということで一人、故郷の広島に戻る決意をしました。
父親がいなくなり寂しい思いをしていた高橋真梨子さんですが、そんな時に母親が自分の家に見知らぬ男性を連れて帰ってきたんです。その男性は、母親がホステスとして働いているお店のボーイで、不倫関係となり高橋さんの家に入り浸るようになりました。
母親と男性はケンカも絶えず、顔にあざができることもあったそうです。それでも別れることはなく一緒に暮らしている状況に、高橋真梨子さんは、父親がいるのに男性を連れ込んだことに理解ができず不信感を抱いていたそうです。それが男女のことがわかり始めた頃になると、母親への憎悪となっていきました。
当時、家にも学校にも居場所が無かった高橋真梨子さんでしたが、唯一の救いはコーラス部で歌を歌っている時だけでした。この時から歌手になることを決意した高橋真梨子さん。広島で一人で暮らしている父親を訪ねて、音楽を学んでいましたが、被曝の影響もあり37歳という若さで父親が亡くなってしまいます。
ボイストレーニングを受けるなど父親が亡くなってからはより一層、歌に没頭していきました。そんな時に東京の大手プロダクションからスカウトされ16歳で上京を決意しました。この時、本当は東京に行きたくなかった高橋さんですが、母親が出て行けと言わんばかりに上京に賛成したこともあり東京に行くことを決めたそうです。
そのまま成功するかと思ったら、わずか3年で博多に戻ってしまいました。戻ってからはジ「九州一のジャズシンガー」になると決め、瞬く間に人気となり、本当に九州一のジャズシンガーとなった高橋真梨子さん。東京からも多くのスカウトが来てましたが、東京に戻らないと決めていた高橋さんはスカウト全てを断っていました。
そんな中、当時、東京で人気が出ていたペドロ&カプリシャスの女性シンガーが突如失踪してしまい、急遽、後任のシンガーを探すことになりました。メンバーの一人がかつて博多で高橋真梨子さんの歌声を聞いたことがあり、メンバーとして高橋さんをスカウトしました。
最初は頑なに断っていた高橋さんですが、何度も説得した結果、1年だけという期限つきでメンバーになることを承諾しました。
高橋真梨子さんをメンバーとして最初に出した「ジョニーへの伝言」がヒットとなり、その後に出した「五番街のマリーへ」 もヒットし紅白歌合戦にも出場を果たしました。
これをきっかけに人気となった高橋真梨子さんですが、母親との唯一の接点は高橋さんが母親に送る仕送りだけとなっていました。
ずっと母親とわだかまりを持ったままでしたが、1993年に高橋真梨子さんはペトロ&カプリシャス時代から一緒に活動しているヘンリー広瀬さんと結婚。仕事も順調でやっと普通の幸せな生活を送る高橋さんに、博多で暮らしている母親がガンで余命半年ということを知らせれます。
博多の病院に行き、母親の姿を見て思ったのは、普通の家庭ではなかったけど、生活のために働いて育ててくれたのは母親だと感じたそうです。このときやっと高橋真梨子さんから母親に対するわだかまりが溶けていきました。自分が住んでいる東京に母親をよんで、今までのことが無かったかのように母親の看護をしました。
医者から告げられた余命半年を待たず、わずか4ヶ月で亡くなりました。もう少し時間があれば・・・と今では本当に申し訳ないという気持ちで一杯の高橋真梨子さん。
一人で子供を育てるにはあまりに心細く誰かに寄り添いたい気持ちは、子供の時に理解しろと言われても無理な話ですよね。それでも年齢を重ねてやっと母親の気持ちがわかってほんの少しでも親子として過ごせたことは貴重な時間だったに違いありませんね。
高橋真梨子が激やせで体調不良でも歌い続ける理由
痩せてしまい体調も悪い高橋真梨子さんですが、それでも年間50公演を毎年続けています。そこまでする理由は、幼少時代に孤独だった時に唯一の救いだったのは歌で、その歌によって人生を変えることができた高橋真梨子さん。
「歌うことは自分の生きている証し」といい、「歌えるだけ歌って死ぬまで歌う」と、歌手であることを生涯現役で貫くと告白していました。
歌のない人生は考えられないほど、自分の一部となっていれば辞めることはできませんよね。ただ、2016年6月宮城県でのコンサート、2016年7月熊本県でのコンサートの2つのコンサートは体調不良を理由に中止となっています。
過去のトラウマは現在も癒えていませんが、幼少の経験があったからこそ心に響く歌声なのかもしれませんね。できるなら少しでも体調が改善して、私たちに歌声を届けて欲しいです。